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sampanchanya
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25日の供養会(慰霊祭)以降、コッ・ペイ島の事故関連のニュースは減ってきている。
総死亡者数は訂正があり、456名から347名へ下方修正された。現在は、どこも『300人以上の死者』という表現を用いている。

政府は事故の遺族に、死亡者一人当たり1250ドル、負傷者一人当たり200ドルの弔慰金、見舞金を支払うとしている。
政府の呼び掛けていた募金は28日の時点で約120万ドルに達していた。
『この募金はどこへ行くのか?』 市民は口々に噂をしている。
25日の供養会でのフン・セン首相とブン・ラニー・フン・セン同首相夫人が涙したのは演技で、政府責任を回避するため、同情を引いて募金をもっと集めるため、ひいては私腹を肥やすためだった、などと言っている。
この市民の疑惑を察知した同首相は演説中で、『被害者を見舞い、また弔慰・見舞金を渡すために地方を廻っている(自身の)妻にそういった(疑いの)目を向けられていることを考えるといたたまれない。自分や妻は、政府は純粋に国民のことを考えているのに』と述べ、今後そういった噂をたとえ電話でも口にしているものは取り締まる、こともありうるとほのめかした。


26日には、こんなことがあった。
地方から水祭りに参加するためプノンペンを訪れていた女性が帰郷するためにバスに乗り込んで待っていた。女性はボッコリと顔が紫に腫れている。どうしたのかと聞けば、コッ・ペイ島での事故に巻き込まれ、カルメット病院で治療を受け、予定より遅くなったが、やっと帰郷できることになったのだ、とのことだった。しかし、女性は続けて、退院時にカルメット病院から100ドルの支払いを請求されたと言う。政府は事故の被害者には一切の負担をさせないと公告している。女性は治療費の一切は政府負担ではないのかと問うたが、まったく聞き入れられず、悶着の末、仕方なく支払ってきたとのことだった。
この話を一緒に聞いていた周りの人々は憤慨し、『それはおかしいので、バスの通過点でもあるCTN局で事情を訴えるべきだ!』と女性に勧めた。
後に連絡を受けたところ、女性はCTN局にて事情を訴えたところ、50ドルを貰うことができたが、ひどく疎んじられ、追い払われるようにCTN局を出てきた、とのことだった。

ここでCTN局を責めることはできない。女性が事故の被害者がどうかは証明できるものではないし、ひょっとするとすでに事故の被害者でないのに被害者として同局を訪れる者が多くあったのかもしれない。
仮にこの女性の話を完全に信用するならば、責められるべきはカルメット病院である。
政府の公告が届いていないわけがないし、もし事故以外からの理由で身体に問題があったとして、その治療を行ったならば、事前または事後に説明されるべきである。(通常カンボジアの病院ではお金を持っていない人には治療を行わない。よっぽどの特別な理由か、特別信用のある人間でなければ、緊急に手術が必要な場合でも最低半額は前払いをしなければならない)
女性は事故での負傷以外の治療が行われたとは聞いていないとのことであった。

以上は直接目にし、耳にした話であるが、他にそういった問題があったという報告は、少なくとも私には届いていない。


その他、人口に膾炙される噂は数知れない。
例えば以下の2つはコッ・ペイ島からの立ち退きの影響とするもの。(コッ・ペイ島にはかつて村があり、少数ながら人々が生活をしていた。しかし、開発のためとして、双方の合意に至らないまま半ば強制的に住民は島を追い出された)

 - 強制退去させられる際に村人は、開発会社を呪った。この開発がうまくいかないように。この会社が災難に遭うように。この会社が潰れるように…。今回の事故は直接的に開発会社を不幸にするものではないが、かつての村人は犠牲者の不幸を悼みながら、今回の事故は(開発会社が)自分たちにしたことに対する報いなのだ、と強く信じている。

 - 強制退去を行う際、開発会社側(依頼され実際に行動したのは軍隊・警察だとされる)はコッ・ペイ島の蛇を三百数十匹殺した。今回の事故での死亡者数との奇妙な一致。今回の事故はその殺された蛇の呪いなのだ…。

市井ではこんなことが連日囁かれていた。
(※カンボジアでは古来からの呪術が発達しており、表立ってその姿を現すことはできないが、現在も国中に呪術師が点在しているという。良い術、悪い術とあるが、特に呪殺など悪い術を使える者は、それが分かった途端に捕えられ、多く殺される。しかし現在にあっても、どこかで確実に需要があり、誰それが呪殺されたとする話は頻繁に聞かれる。良い術としては恋愛を成就させる術、病気を治癒する術などがある。また、最近でも上記の噂の発端と同様、バン・コック湖の立ち退きに関する問題で住民らが開発会社に呪いをかけている)


以下は全くの私見であるが、今回の事故に関し政府に対して責任を求める向きが多いようだが、それは違うのではないかと私は思う。警察に関してもまたしかりである。
今回の事故は、交通整理の不備などから起ったものではない。原因は人心なのだ。集団力学の作用と言ってもいいのではないか。パニックゆえの出来事なのだ。これはたとえ日本でも状況によっては十分に同様のことが起こりうると思う。一度集団がパニックに陥ったならば誰が何と言おうと耳を貸すことはできないだろう。そんな言葉より目にしている状況を通常は信じるからだ。その人が助かりたいと思っていれば尚更だ。

ただ今回の事故については、その根底には、カンボジア一般人民の自国製品、自国生産物に関する不信感、政治・外交情勢への不安感があると私は考える。パニックが起った最初のきっかけが何であるかは判明していないが、ある人は橋が揺れた、橋が壊れる、またある人はタイの陰謀でテロが起った、反首相派がテロを起こした、などと述べている。どれも正しいかそうでないかは分からないが、人民が普段から心の奥底で不安・不信に感じている部分を突いている。
誰かが『橋が壊れる』と言った時、『テロが起った』と言った時、その言葉を信じることは、疑うより容易かっただろう。


今後も今回のコッ・ペイ島の事故についての情報は更新され、様々なことが明らかになっていくだろうが、この事故に関して、私が記述するのはここまでとする。


あらためて犠牲者の皆様のご冥福をお祈り致します。
(了)
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事故の翌日、市内は至って普通の日常が戻っていた。
しかし普段より人出が少なく見えるのは、前日まで各地から集まり祭りを楽しんだ人々がプノンペンを去ったためか。
心なしか普段より静かに感じるのは、祭りの狂騒の後だからであろうか。
それとも。

23日、各テレビ局は一日中事故についての特番を放送していた。
番組中では寄附を願い、振込口座がテロップで記され、各所で行われている募金の様子を流し、寄附者の名前と金額を告げる。
また、この悲劇での突発的な需要に対し(供物とする)果物などの売価を値上げする者もあり、そういったことをしないよう呼び掛けてもいた。
市中では、誰もが顔を合せればまずは相手の家族親戚の安否確認を行っていた。

24日、あらためて死傷者数が発表された。 死者456名、負傷者395名。
政府は被害者の遺族に1250ドルの弔慰金を支払うことを決め、24日午後から受渡しを始めた。

明日25日には供養会(慰霊祭)が行われる。
政府はこれに伴い、喪に服する為、終日カラオケ等の娯楽施設を閉鎖すると発表した。


謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申しあげます。
死亡者数は339名まで増加(AP)
死亡者の数は、なお増えている。

コッ・ペイ島の現場に居た、ある飲み物売りの女性は、ガスのようなものが撒かれて数人が苦しみだし、それを見た人々がパニックになって我先に逃げだそうとして狭い橋上で人雪崩が起こったと語った。

この女性の語ったことが正しいかそうでないかは現在進められている現場検証の結果でやがて明らかになるだろうが、状況から見て、単に先を急ぐ人々が押し詰まったのではなく、何らかの原因でパニックが起こったことは間違いないだろう。

当夜、コッ・ペイ島ではコンサートが開かれ、また簡単な遊園地なども設置されており、かなりの人出があった。市井では、反首相派のテロ、タイがカンボジアを再び危険な国と認識させて窮地に陥れるために起こした、などと様々に噂が囁かれている。

今年の水祭りには全国各地から、また外国からの観光客など、3日間で300万人以上の人間がプノンペンに集まったとされている。

(筆者個人調査)
死亡者は総数298名に増加。
主要な病院である、カルメット病院で105名、僧侶病院で48名、国立小児病院で18名、カンボジア・ロシア友好病院で53名の死亡者が確認されている。

カンプチア・タマイ・デイリー(11月23日2:05)


BAYON TVでは事故判明後よりコッ・ペイ島の現場から生中継を行っており、フン・セン首相も(自宅?)スタジオから出演し、国民に向け今回の悲しい事故へ遺憾の意を述べ、また首相自らの口で現状報告を行っている。
23日2時03分の時点の確認されている死亡者は278名(男性38名・女性240名/各病院からの報告をまとめたもの)であると発表された。
救助に当たった公立・私立病院の医師達の報告から、現在、この事故での死者は100名に迫っていることが分かった。しかしまた別の筋からは既に死者は100名を越えているとの情報も入ってきている。

警察発表では、このひどい事故の原因は、コッ・ペイ島に渡る人がニアック橋上に詰まっている状態であるところに、更に後から人が押し寄せたことによるとし、死因は前後の圧迫での窒息、押し倒された状態で人波に踏みつけられたこと、人波に押し出され橋上から川へ転落したこと、等としている。

カンプチア・タマイ・デイリー(11月23日1:11)
プノンペン水祭り(ボン・オム・トゥーク)3日目の今日、2010年11月22日21時30分頃、総合催事場コッ・ペイ島に渡るニアック橋上で人雪崩により少なくとも20名が死亡、100名以上が意識不明で病院に運ばれ、数百名が手当てを受けるという衝撃的な事故が起こった。
この不時の事故の発生理由について、管轄当局からの発表はまだない。

カンプチア・タマイ・デイリー(2010年11月22日22:32)
16日朝、カンダル州T村にて15歳の少女が自宅自室にて刺殺され、血の海の中に横たわっているところを発見された。犯人は24歳の男で、少女を刺殺した後、盗んだバイクで逃走。その後の警察発表によると、死亡した少女の刺傷部は42箇所に上る。
17日、プノンペン市のメンチェイパゴダ前で服毒自殺を図ろうとしている男を僧侶が発見、同地区の警察に連絡した。男は前日に少女を殺した犯人であり、警察は男をカンダル州へ移送した。
男は、少女が自分の好意を受け入れなかったため殺害したという。




男も女も、カンボジア人の感情の動きは激しい。
新聞には連日同じような事件が掲載されている。
一つ前の記事にリンクを貼った、ミス地雷コンテストが中止となった。
中止に至る顛末は以下の通り。


7月30日、社会福祉省から文書にて開催中止を求める旨、勧告がある。
8月2日、同省、カンボジア国内での関連活動の禁止を通告。
8月3日、主催者であるMorten氏と省の担当者との話し合いが持たれたが、通告の撤回には至らず。
Morten氏は「政府の決定には大変失望している。活動再開の許可を求め、出来うる限り努力したが許可を得ることは出来なかった。」と語る。
8月4日、カンボジア国内での一切の活動の中止を発表。
また、カンボジア国内での予定していた活動の一切は取り止めにするが、WEB上での活動は通告外のこととして、12月3日の世界障害者デーまでWEB上の投票を続け、12月31日にミスの発表をするとしている。


この件に関して、関係各所の声明

政府広報官キュー・カンナリット氏は、3日、
「ミス地雷コンテストはカンボジアの地雷被害者に対する侮辱、嘲りの目を生む可能性のあるものであり、政府としてこのコンテストを支援することはできない。」と語る。

社会福祉省の次官、セーム・ソッカー氏は
「障害者の地位を向上させるには、障害者やその家族の貧困を解消させるだけでなく、同時に国自体を発展させる努力もしていかなければならない。
すべての障害者に権利を与え、社会に迎え入れることは、我々人民すべての義務である。
しかし各障害者自身においてもまた、社会に受け入れられ、権利を与えられる為の努力をすべきである。」
と、障害者問題に関して社会福祉省の見解を述べた。


足掛け2年調整を続けてきたという今回のコンテストが突然の中止に至った理由の実際は分からない。
政府側の利害(改善されつつある国のイメージが元に戻るのを防ぐため、人権保護に積極的であることを国際的に示すため、ポル・ポト裁判にさらに強く世界の目が向く事を避けるため等々)によるものか、主催団体の不手際によるものか、理由は幾らでも考えられるが、
その後の対応の状況や遅さ、発言(ミス候補者保護の意識の甘さ、国連に定められた基本的人権の自由に違反している等の発言)などを見る限りでは、主催者(団体)側に問題があったのではないかと私は感じる。
彼らは理想を求めるばかりでカンボジアという国の現況、実際を鑑みる事ができていなかった、主張を押しつけるばかりでカンボジアという国の人格を尊重しなかったのではないか。
また本国(オーストリア)と現地(カンボジア)のスタッフ間で、活動やその思想について完全に理解がし合えていなかったのではないか。その乖離の幅が2年の間に拡がっていき、結果、今回のような事態を招いたのではないか、という気もしている。


2006年にフン・セン首相は、貧困が現在の半分以下の水準になるまで、そういったこと(この当時に述べた対象は健常者の美人コンテスト)は認めないと声明を出している。
このことも無関係ではないかもしれない。
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